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おらほのカシマをダブル取材!楢山、太平の鹿島行事(上)

投稿者:小松 和彦 投稿者:小松 和彦 小松 和彦

6月、川尻の鹿嶋祭りを取材した帰りに秋田市楢山登町の鹿嶋神社に立ち寄りました。こちらでは例年7月第1日曜日に鹿嶋祭りが行われていますが、最近はコロナ禍でしばらく中断していました。

神社の入口にある掲示板に目をやると、

なんと7月2日に開催するとのこと。今年は「秋田市内のカシマ」が揃って復活です!さらに私たちの活動をいつも応援していただいているYUNAさんからご実家のある秋田市太平の川原集落でも同じく7月2日に鹿島流しが行われることを教えてもらいました。

7月第1日曜日は毎年横手市大森「末野のショウキサマの行事と鹿島流し」を取材しております。今年は宮原さんとウチの家族が行くことになっているので、私は別行動で「秋田市内のカシマ」をダブル取材することにしました。

末野では6月最終日曜日に、ショウキサマのパーツやカシマニンギョウを作る講習会を行っています。6月25日、こちらの会を見学させていただきました。末野の鹿島行事のリーダー・斉藤繁さんがサンダワラ編みなどを指導されていました。

今年も「鹿島人形コンテスト」が開催されるとあって、熱心に人形作りに精を出している方も。その工程をガン見しているうちに、私もやってみたくなりました。家に帰ってから、手持ちの藁で作ってみることに。

こちらが私が作った鹿島人形。顔は遮光器土偶風。名付けて「シャコカシマ」ちゃんです。当日はウチの家族がこの人形を持って、末野にお邪魔しました(詳しくはこちら)。ついに鹿島人形コンテストの末席を汚すことができて、とても光栄です。

7月2日、いよいよカシマのダブル取材です。YUNAさんから「川原では午前5時から鹿島船作りです」と聞いていたので、早朝から出かけました。到着したのは午前6時前。すると…

すでに船は完成し、参加した皆さんはなんと直会の真っ最中!出遅れたのは痛恨でしたが、それにしても船のカッコよさに痺れました。今まで見た中では、横手市大雄の平柳の鹿島船に匹敵する芸術度の高さです。

太平川原の鹿島流しは午後5時から。一度、家に戻り今度は楢山の鹿嶋祭りへ。こちらでは午前11時半から神社で神事、お昼を挟んで船が町内を巡行します。その際、川尻と同じく、「悪魔ばらい」の鬼が家々を巡ります。

この行事は楢山登町の中でもかつて御船町(追廻町)と呼ばれる地区で行われています。藩政時代、久保田城下町(現在の秋田市中心部)では多くの町内で鹿島行事が行われてたようですが、現在このエリアで伝承されているのは御船町だけ。『村を守る不思議な神様2』の「松峰のニンギョサマ」の章で引用した秋田魁新報の記事(明治37年4月25日)では「例年秋田市の内外にて、佐竹公遷以前より土着の人々、即ち川尻、御船町、牛島その他の村々にて鹿島流しを執行する慣習あり。その行事は葦(よし)をもって船形を作り、船中には必ず義経、および弁慶の人形を安置せり」と書かれています。

「川尻に続き、今回も自転車で行こうか」と思いきや、父が自転車で出かけており、結局徒歩で取材に向かいました。といっても、ほぼご町内なので20分くらいで到着。まさに「おらほのカシマ」です。

鹿嶋神社に到着すると鹿島船を乗せた車が。舳先には錨を持った弁慶、船尾に案山子が乗るのは川尻と同様。弁慶の衣装が心なしかスーパーマンを彷彿とさせます。

楢山の鹿嶋祭りは鹿嶋神社の例祭として催されるのも大きな特徴です。こちらのご神体は般若面の「オメンサマ」。祭壇の奥に飾られているのがそのお面で、手前は現在「悪魔ばらい」に使われているもの。どちらも怖いですが、やはりご神体の存在感は半端ない。

『被面勧懲50回記念・鹿嶋神社縁起と舟山三郎画伯』(昭和51年、鹿嶋神社刊)によるとオメンサマは文久3年(1863)、川反(秋田市大町)の質屋で質草になっていたところ、質屋の家族に不吉なことが起るようになり、ある日「鹿嶋明神のお祭りに使ってもらえ」というお告げによって御船町に寄贈された。明治10年、「神社を建てなさい」というお告げがあって社殿を建立。

オメンサマを語る上で欠かせない人物が地元の日本画家・舟山三郎氏(1909~1991)です。画伯は若い頃に大病を患い、「オメンサマと一緒に空を飛ぶ夢を見た」ことで全快。そのことで「画家と被面求道を発心した(原文ママ)」とのこと。

神社の中には舟山画伯が「被面求道」されている時の写真が飾られていますが、常人ではありえないオーラがバンバン伝ってきます。画伯による悪魔ばらいは昭和2年から平成2年まで行われ、戦時中も中断しなかったとのこと。その存在の大きさに「画伯のオメンサマを被る勇気がある人がいなかった」ためお面を新調し、現在は市内の神社の宮司さんが執り行っているそうです。

川尻・毘沙門町の鬼

詳細は不明ですが、御船町のオメンサマは川尻毘沙門町の鬼と夫婦という話もあるとか(これは川尻の鹿嶋祭りでも聞きました)。かつてお互いの悪魔ばらいが出会ってしまった時があり、その際、「2匹が離れられなくなった」そう。オメンパワー、恐るべしです。

これまで取材した中で、カリスマ的な宗教者が鹿島行事を取り仕切っていた事例では、『村を守る不思議な神様・永久保存版』(KADOKAWA)にも登場する横手市十文字町の木下のカシマサマがありましたが、楢山の鹿嶋祭りもかなりのインパクトです。鹿島立て(人形道祖神)と鹿島流しという違いはありますが、どちらも鹿嶋神社の祭典として行われるという共通点があります。

午前11時から神事がスタート。湯立ての神事や神楽が奉納された後、お昼を挟んで、いよいよ船とオメンサマが巡行します。

キターーー!

続きは次回。

Writerこの記事を書いた人

投稿者:小松 和彦
郷土史研究 小松 和彦
工芸ギャラリー・小松クラフトスペース店主 『秋田県の遊廓跡を歩く』(カストリ出版)、 『新あきたよもやま』(秋田魁新聞デジタル版) などを執筆。 http://www.komatsucraft.com/ Twitter @Komatsucraft