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新潟県のショウキサマを徹底取材

投稿者:小松 和彦 投稿者:小松 和彦 小松 和彦

今年、私がやりたいと思っている活動の一つが「越境取材」、つまり秋田県外の人形道祖神を取材することです。これまでも岩手県西和賀町・左草の人形送りや福島県のカゼブクロサマ、オニンギョウサマを見に行ったことはありましたが、行動範囲がほぼ秋田県に限定されていたため、取材の機会はごく僅か。2021年、福島県立博物館の企画展「藁の文化」を見た際に、秋田の人形道祖神を考察するためにも他県の事例と比較対照する必要性を感じていました。中でも注目していたのが、新潟県東蒲原郡阿賀町の人形道祖神・ショウキサマの行事です。

阿賀町大牧のショウキサマ(体長約2.8メートル)

新潟県東部の福島県境に接する阿賀町では平瀬(びょうぜ)、夏渡戸(なつわど)、武須沢入(ぶすぞうり)、大牧(おおまき)、熊渡(くまわたり)の5集落にいずれもショウキサマと呼ばれるワラ人形が祭られています。「ショウキサマ」は秋田県内の人形道祖神ではかなりメジャーなネーミングですが、県外では先述した岩手県の左草や新潟県の阿賀地域に限定されているようです。さらに3メートルを超える大人形や男女一対など人形の形態も様々で、ぜひ制作をするところも含めて拝見したいと思っていました。

この地域では毎年2~3月にショウキサマの作り替えを伴う行事が行われています。ところが、平瀬と大牧では数年前から作るのをやめており、新潟日報の記事によると武須沢入でも今年は断念したとのこと。秋田県と同様、人口減少で人形道祖神の行事を持続するのは難しくなっているそうです。

今年は3月8日に熊渡、同10日と夏渡戸でお祭りが行われるとのこと。事前に取材の許可をいただき、いよいよ念願の新潟取材へ。今回、宮原さんはスケジュールの関係で来られなかったため、私の一人取材旅です。

奥三面の神送りのワラ人形

3月7日の朝、車で秋田を出発。阿賀町まで行く途中にある博物館や史跡にも数か所立ち寄りました。その一つ、新潟県村上市にある「縄文の里・朝日奥三面歴史交流館」では、かつて奥三面地区行われていた神送り行事のワラ人形が展示されています。ここでは旧暦2月2日に15歳になった若者たちがほぼ等身大のワラ人形を作り、これを担いで集落を3周した後に村境に立てたそう。半跏思惟像を思わせる悩まし気な右手のポーズ、大きな男根にミスマッチな腰のくねり具合、ツッコミどころが満載で個人的に大好きなワラ人形です。

浦のショウキサマ

新潟県新発田市の浦集落には高さ230センチほどのショウキサマが祭られています。こちらのショウキサマの表記は「鍾馗」ではなく「正貴」。ショウキサマの前には「正貴神社」の額が掲げられた「拝殿」があり、そのご神体として祭られています。こちらは阿賀の熊渡(または大牧)から近代に分祀された神様なのだそう。神社の御神体として祭られる人形道祖神といえば、秋田県では横手市木下のカシマサマの例がありますが、木下は神社の内陣に安置されているのに対し、浦は屋根だけのオープンエアというのが大きな違いです。

熊渡の正鬼神社とショウキサマ

夜7時半に熊渡に到着。この日は午後8時からショウキ祭りの前日ということで「宵宮」が行われます。熊渡のショウキサマの表記は「正鬼」。こちらも浦と同様で、ショウキサマの前に拝殿の建物があります。宵宮では氏子や町内会の役員の皆さんが集まり、神官さんが護摩を焚いてお祓いします。秋田の人形立て行事では見慣れない光景ですが、これは近代に神官様のご先祖が教派神道の流れを汲んだことによるもの。人形道祖神が近代の宗教者によって神社の祭神となるのは木下とよく似ています。

そして3月8日、朝8時から熊渡集落の公民館でショウキサマの制作が始まりました。こちらでは人形の骨組みまですべて新しく作り替えます。約25名の住民の皆さんが、各パーツに別れて作業。お昼を挟んで、午後3時に完成しました。人形の藁のパーツの作り方は秋田の人形道祖神とは似ているようで違う点が多く、興味深いです。

新しいショウキサマは軽トラで運ばれて、正鬼神社の祭神として杉の大木に立ちました。高さ約3メートルの堂々たるワラ人形です。今まで祭られていた古いショウキサマは「ご隠居様」と呼ばれて、後方で永遠の眠りについておりました。

翌9日は夏渡戸のショウキサマ作りに伺いました。夏渡戸は全6戸の集落。東西の入口に男神と女神のショウキサマ(高さ約150センチ)を一体ずつ祭っています。こちらでは祭りの前日に人形のパーツを制作します。この日は仕事で村を離れている方も帰ってきて、まさに村総出で守護神を作ります。お昼前にはほぼ完成し、翌日の祭り本番を待つばかりとなりました。

3月10日は午前11時から集会所に男女のショウキサマをお祭りし、神官さん(ここでは太夫様と呼ぶ)によるお祓いが行われた後、いよいよ男女のショウキサマが村境へと旅立ちます。祭られる場所は毎年入れ替わるそう。別れの間際に向かい合わせてソフトタッチ(?)させる、そして男性が担いで運ぶのは能代市二ツ井の小掛のショウキサマを彷彿とさせます。

熊渡と夏渡戸ではそれぞれショウキサマの行事を継承している集落の皆様からたくさんのお話を聞かせていただきました。行事の継続が困難になりつつある中でも、先祖から受け着いた信仰を守りたいという思いは、地域を問わず共通するものがありました。

実に「百聞は一見にしかず」で、沢山の発見があった4日間でした。正直なところ情報量が多すぎて、文献資料と照らし合わせながら整理しているところです。阿賀町のショウキサマについては、近日中に詳しく書いたものを発表したいと思っております。

今回取材にご協力いただいた各集落の皆様、そして阿賀町教育委員会様、堀口一彦様、河上進様、本当にありがとうございました。

Writerこの記事を書いた人

投稿者:小松 和彦
郷土史研究 小松 和彦
工芸ギャラリー・小松クラフトスペース店主 『秋田県の遊廓跡を歩く』(カストリ出版)、 『新あきたよもやま』(秋田魁新聞デジタル版) などを執筆。 http://www.komatsucraft.com/ Twitter @Komatsucraft