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横綱の貫禄!朴橋のオニンギョウサマの衣替え

投稿者:小松 和彦 投稿者:小松 和彦 小松 和彦

村を守る不思議な神様・永久保存版』(KADOKAWA)で人形道祖神界のメジャーリーガーとして紹介した秋田県湯沢市岩崎地区に祀られている3体のカシマサマ。この人形道祖神は1986年、アメリカのワシントンDCで制作展示されましたが、そのきっかけは千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館に展示されていたカシマサマのレプリカをアメリカの研究者が観たことでした。現在、歴博にはもう一体、威容を誇る人形道祖神のレプリカが収蔵されています。それが福島県田村市芦沢にある朴橋(ほうのきばし)のオンギョウサマ(お人形様)です。

国立歴史民俗博物館(歴博)に展示されている朴橋のオニンギョウサマのレプリカ(2017年撮影)

歌舞伎の隈どりを施したようなお面と大きく開いた両手が印象的な藁人形です。現在の郡山市からいわき市を結ぶ磐城(いわき)街道沿いでは遅くとも近世から疫病の侵入を防ぐために人形立てを行う風習があり、代表的なものは「磐城街道の五人形」と呼ばれていたそう。現在でも朴橋と屋形、堀越(いずれも田村市)の3カ所に祀られています。

屋形のオニンギョウサマ(2021年撮影)

2021年、福島県立博物館の「藁の文化展」のシンポジウムに参加した際、学芸員の大里正樹さんに案内していただき、オニンギョウサマを巡りました(こちら)。いずれも高さは約3~4メートル。その貫禄に圧倒されて、「もし人形道祖神に番付表があれば、田村市のオニンギョウサマが東の横綱で、岩崎のカシマサマが西の横綱かな」と感じました。田村のオニンギョウサマと岩崎のカシマサマには「祀られているのは3体」、「4月に作り替えの行事」、「人形の高さもほぼ一緒」という共通点があります。さらには江戸時代、この地を治めた三春藩主・秋田氏はその名の通り、元々は土崎港(秋田市)や脇本(男鹿市)、桧山(能代市)を拠点に南秋田郡、河辺郡、山本郡などを治めていた秋田の戦国大名で、関ヶ原の戦いの後、常陸国(現・茨城県)に国替えになり、17世紀半ばに現在の福島県田村郡に転封となって明治維新を迎えました。秋田からは離れていますが、何か不思議なご縁がある土地です。

「奇想民俗博物館まつりと」(キヤノンギャラリーS)の展示風景(2024年)

2024年、私と宮原さんも企画に関わった品川・キヤノンギャラリーSでの「奇想民俗博物館まつりと」では、写真家の故・芳賀日出男さんが撮影したオニンギョウサマの写真がひときわ目を引きました。いずれは人形立ての様子を見たいと思っていましたが、この度、念願かなって朴橋のオンギョウサマの「衣替え」を取材させていただきました。期日は4月13日。奇しくも今年は「西の横綱」こと、岩崎の末広町、緑町のカシマサマを作り替える「鹿島祭り」と同日でした。

かつて朴橋のオンギョウサマの行事は旧暦2月15日に「衣替え」、旧暦3月15日に「お祝い」をしたそうですが(『人形道祖神・境界神の原像』)、やがて旧暦3月15日にまとめて行われるようになり、近年は4月の第2日曜日になりました。朴橋は現在約40軒の集落ですが、その内の16軒が保存会のメンバー(講中)になっているそう。オニンギョウサマが祀られているのは集落と街道を見下ろす小高い丘の中腹です。

午前9時からオニンギョウサマの衣替えがスタート。まずは既存の人形を解体します。ニンギョウサマの骨組みは4本の丸太を小屋掛けしたもの。同じような骨組みを持つ人形道祖神には横手市山内の田代沢のカシマサマがあります。

オニンギョウサマが祀られている丘からほど近い場所に、衣替えの作業を行う建物があります。屋内では「腰ひも(縄)」や「手」などの人形のパーツを藁で作り、外ではお面や長刀の塗り替え。保存会の方々の他、地域おこし協力隊や近隣の有志の皆さんも参加されていました。

オニンギョウサマの大きな特徴である手は指を2枚のサンダラ(桟俵)で挟み込むようにして作ります。桟俵はカシマサマの乳房やヘソに見られるような放射状に編んでいくのではなく、円状に巻いていく技法。この手の作り方は秋田県の人形道祖神では見たことがありません。

お昼を挟んで、午後から人形の組み立てが始まりました。面を取り付けた後、新しい杉の葉を頭に植えていきます。人形の体を覆う菰(こも)は全部で7枚で、保存会会長の荒井義光さんが用意されました。朴橋では荒井さんの家が先祖代々、この行事の講主を務めており、オニンギョウサマが祀られている山も荒井さんの家が所有しているのだそう。人形立て行事を一軒の家が代々取り仕切っている事例は珍しいですが、同じようなケースではにかほ市横岡のサイノカミ行事があります。

菰でオニンギョウサマの体を覆う作業は、人形の中にも人が入って行います。両手を付けて、「前掛け」に縄で文様を施す頃には完成形が見えてきました!

午後2時過ぎ、新しいオニンギョウサマが完成しました。堂々たる御姿はさすが「東の横綱」!参加者一堂で拝礼した後、先ほど藁のパーツを作っていた建物で直会になりました。

この行事に参加されていた約20名のうち、6名は地域おこし協力隊や有志の皆さん。保存会以外の方が参加するようになったのは4年前からだそう。会長の荒井さんは「本当に助かります。注目してもらえるのは嬉しいですね」とおっしゃられます。地元の方には当たり前でも、他所から来た人にとっては目から鱗の存在。オニンギョウサマに魅了された新しいメンバーとの交流は、行事の伝承にとって大きなチカラになっているようです。

船引駅のホームに立てられたオニンギョウサマ

ちょうど桜が満開を迎えていた田村市。散策ルートにはもちろんオニンギョウサマも入っており、花見客に「衣替えをどうぞ見て行ってください」と協力隊の方が誘導することも。5月31日には「あしざわゆふづつ市」というオニンギョウサマをテーマにしたマルシェイベントも開催されます。行政のバックアップもあり、地域のシンボルであるオニンギョウサマを文化資源として積極的に活用していこうという姿勢が随所に見られました。

私が「秋田でこんなことができるのではないか」と思い描いていたことが、田村市では既に進行している事実に感銘を受けました。人形立て行事の継承の取り組み方、人形道祖神文化の発信の在り方として、とても刺激を受けた今回の取材。また是非、他のオニンギョウサマの衣替えも含めて伺いたいと思っております。

Writerこの記事を書いた人

投稿者:小松 和彦
郷土史研究 小松 和彦
工芸ギャラリー・小松クラフトスペース店主 『秋田県の遊廓跡を歩く』(カストリ出版)、 『新あきたよもやま』(秋田魁新聞デジタル版) などを執筆。 http://www.komatsucraft.com/ Twitter @Komatsucraft