今年は3月の新潟県阿賀町のショウキ祭りから始まり、青森県六ケ所村出戸の四方止(百万遍)、茨城県鉾田市玄生のオオスギサマ、山形県舟形町長沢の病送りと秋田県外の人形行事の取材が続いています。そして7月15日の海の日には青森県十和田市の板ノ沢集落にあるカヤニンギョウの作り替えに伺いました。
板ノ沢のカヤニンギョウは高さ約3メートル、男女一対で神社の境内から集落を見下ろすように祀られています。現在、十和田市内では唯一の人形道祖神ですが、かつては他の集落でも祀られていたそうです。板ノ沢からほど近い、切田地区について書かれた『切田郷土史』(中道等著、切田財産區議会、昭和30年)には、こんな一文があります。
草人形 田植えが終わると、家の内外をきれいにしてから戸口に注連を張り、疫病の入らぬまじないとした。この日、村中の人が総出で村の掃除をし、部落の主な入口に麦わらや稲わらで大きな人形を2体作って立てた。男と女の2体で、男女とも古くは陰部まで作りつけたものだった。クサヒトガタで、これを昔はカシマサマといって、太い注連を張り、木刀、臼、杵、バラなどをつけてぶら下がる。邪悪なものが入り込もうとするとこれらで粉々にしようとするものだった。
草人形のことを「カシマサマ」と呼んでいたことは驚きです。秋田県の横手市、湯沢市では人形道祖神の代表的な名称となっていますが、遠く離れた十和田にも「カシマ」が祀られたのはなぜなのか、とても気になる所です。
さらに男女の大人形の他に、30センチほどの小人形を奉納する風習も注目です。大人形と小人形のコラボと言えば、まさに「大きなカシマサマと小さなカシマサマ」。横手市田ノ植のカシマサマや樽見内の鹿島行事を彷彿とさせます。秋田の鹿島行事と比較検討するためにも、こちらの行事は拝見したいと思っていましたが、この夏、ついに念願かなって取材させていただきました。

午前8時、集落の中心部にある集会所の前に、行事に参加される皆さんが集合し、隣家の倉庫でカヤニンギョウ作りが始まりました。その頃、神社の前の空き地では一年間集落を守ってきたカヤニンギョウが燃やされていました。男女の人形が抱き合うように焼かれる風習は南部地方の人形送り行事でよく見られますが、秋田県内では横手市松田のジジババ流しで同様の風習があります。

板ノ沢の集落は上と下にエリアが分かれており、それぞれに本家があって、カヤニンギョウ作りが行わている倉庫は上の本家(屋号は巳之助さん)。そして上チームは女神を、下チームは男神を担当します。人形に使われるカヤは昨年10月に刈り取ったもの。井桁状に組んだ骨組みに茅を巻き付けて、本体を肉付けしていきます。

カヤニンギョウ作りが行われている倉庫の向かいの空き地では、子供会が中心となって藁の小人形を制作していました。鹿島人形は各家で1体奉納しますが、ここでは一人で男女ペアの人形を作ります。昔は各家々のお母さんたちが子孫繁栄や家内安全を祈願して作ったそう。この小人形のことを「コドモニンギョウ」と呼んでいる人もいました。
元々、このカヤニンギョウの作り替え行事は旧暦6月24日に行われていました。その後、新暦の7月24日になり、今は子供が来やすいようにと毎年海の日に開催されるようになったそうです。この行事に合わせて、子供を連れて実家に帰ってきたというご夫婦も参加していました。

カヤニンギョウの頭にはカマス(ムシロを袋状にしたもの)に顔を描いて被せます。そしてそれぞれにシンボル(性器)が取り付けられます。男根は木製。女陰は藁を円形に編んだもの。これが付いた頃には完成形が見えてきました。

「コドモニンギョウ」は仕上げに頭に花を飾ります。秋田では鹿島人形を乗せる鹿島船に草花を付けていた例はありましたが、人形そのものに飾るのは見たことが無かったので驚きました。人形は髪が1本になっているのが男で、2本が女。よく見ると六ヶ所村の百万遍行事で村境に祀られる「ジンジョ」に似ています。

大人形はいよいよ最後の仕上げに入りました。前垂れのデザインは毎年参加する女性たちが考えて描くのだとか。
開始から約3時間経過した午前11時半。新しく完成したカヤニンギョウは軽トラに乗って神社へと向かいました。

まずは女神の方から設置開始。立たせたところで、花飾りのついた髷とかんざしを頭の上に載せます。これだけ花に彩られた人形立て行事は初めて見ました。おそらく唯一無二でしょう。

男神、女神が揃うと、女性や子供たちが「コドモニンギョウ」をそれぞれの足元に奉納。そして、カヤニンギョウの腰に供物のお菓子を吊り下げます。これを後で皆で分けることで、神様のご利益をいただくのです。

最後に参加者が柏手を打って参拝し、御神酒をいただきます。12時半にカヤニンギョウ作りは終了。青森県を代表する人形立て行事は流石!の一言でした。
カヤニンギョウが祀られている神社は村はずれではありますが、村境ではありません。元々は西の熊ノ沢へと抜ける山道に立てられていたとのこと。境界神から守護神となって里へ下りてきたのでしょうか。では、村の入口には何もないのかと言えば、しっかりとありました。「トシナ(年縄)」と呼ばれる注連縄です。

集落の各入口に張られたトシナには「切田郷土史」に書いてある通り、刀と杵をかたどった形代とバラの枝といった呪物が取り付けられてきます。トシナは7つある班がそれぞれ春分の日の前日に作り、設置した後は「八皿(やさら)」の宴をするのだとか。これを「トシナヨリ」というそうです。
八皿行事は秋田では山田のジンジョ祭りの際に見られますが、南部地方にも数多く分布しており、そのルーツがあると思われます。春彼岸の百万遍と同様、魔除けの行事と言って良いでしょう。板ノ沢には様々な「まじない」が今も生きているのです。
板ノ沢のカヤニンギョウの行事では直接的な「カシマ」の要素を発見する事はできませんでしたが、大人形と小人形の関係を考察していく上でも、貴重な取材になりました。町内会長の澤目精治さん、前会長の澤目豊さんをはじめ、ご協力いただいた皆様に改めて感謝申し上げます。