3月も終わりが近付き、私が住む秋田市でも少しずつ春の兆しを感じられるようになりました。今月は金沢市での宮原さんの作品展、美郷町での私の講演、そして春彼岸行事の取材と盛りだくさんの一カ月でした。今回は美郷町のイベントと青森県平川市で取材した「ボーノ神送り」についてご紹介いたします。

前回のブログで告知していた「第7回わらの文化交流の集い」が3月1日、秋田県美郷町の美郷町住民活動センターで開催されました。準備のため前日に現地入りし、まずはイベント会場の真向かいにある美郷町歴史民俗資料館へ。この施設の入口には、本堂城跡(館間)のショウキサマのレプリカが展示されています。久しぶりに伺うと、なんともう一体ショウキサマが増えていました!こちらは2023年に美郷町「わらの会」の皆さんが制作されたとのこと。新旧のショウキサマが向かい合う姿は壮観です。
「わらの文化交流の集い」当日は、東京や長野、遠くは鹿児島など、全国から「わらの文化」を愛する方々が来場。なんと2019年の神楽坂・かもめブックスでのトークイベントに参加くださった方もいて、6年ぶりにお話ししました。会場に用意された椅子もほぼ満席に。

松田町長の開会のあいさつに続いて、私の講演がスタート。今回は動画や画像を交えながら、ご当地・仙北郡の人形道祖神を中心にお話させていただきました。昭和30年代に農村の日常生活から消えていった藁細工の技術が、人形立て行事によって継承された事例があることも紹介。終演後、聴講してくださった皆様から「地元のことなのに知らないことばかりだった」、「秋田にこんなすごい文化があることに驚いた」という声を頂戴しました。

続いて「藁の文化研究会」代表で千葉大学名誉教授の宮崎清先生が登壇されました。当初は講評の予定でしたが、参加者の要望で、急遽講演をしていただけることに。稲作の起源から、朝鮮半島と日本に共通した藁文化があることなど、大変興味深いお話でした。
お昼を挟んで、山形県真室川町で「工房ストロー」を主宰する髙橋伸一さんによる藁細工のワークショップ。髙橋さんの指導で唐辛子を4本の藁で編みこんでいく「編み南蛮」と「しおり」を制作します。不器用な私は四苦八苦で、周りの方から「午前中の(講演の時の)元気はどうしたの?」と心配される始末(笑)なんとか「しおり」の方はそれなりに出来て、いい思い出になりました。
こうして「交流の集い」は無事閉幕。「わらの文化」を全国に発信している美郷町の皆様の活動に感銘を受けました。この会で藁細工技術の結晶でもある人形道祖神についてお話出来たことは、貴重な経験でした。
さて、3月下旬には春彼岸があります。毎年この時期には先祖の霊を供養し、さまざまな厄を祓う百万遍念仏が各地で行われています。2022年は男鹿市百川、2023年は男鹿市鵜木、2024年は青森県六ヶ所村出戸の念仏行事を取材しました。昨年、六ヶ所村からの帰りに偶然遭遇したのが、青森県平川市平田森の「ボーノ神送り」です。

平田森の「ボーノ神送り」は集落4カ所の入口にボーノ神(疱の神)と呼ばれる男女一対の藁人形を立てる行事。かつては春と秋の彼岸に行われていましたが、現在は春彼岸に近い日曜日に催されます。ボーノ神とは疱瘡(天然痘)などの疫病をもたらす厄神のこと。津軽では江戸時代から疫病が流行した際に藁人形を海に流す「人形送り」の風習があったようですが、ここでは一定の期間、男女の人形を村境に祀るという「人形立て」の要素が含まれています。春彼岸に行われることからも、境界を強く意識した人形行事であることは間違いありません。
昨年、突撃取材をした際にお話を伺った地元の方から、「今年は3月16日に開催します」というお知らせがあり、再び取材させていただく運びとなりました。

早朝に秋田を出て、午前8時に平田森へ到着。公民館には伝統文化保存会の皆さんが集まり、藁人形作りが始まりました。4組の男女、計16体分のパーツを分担して制作します。

こちらは人形の頭部。秋田のカシマニンギョウ作りにも見られる「藁の束を結んで折り返す」技法です。頭の上をリボンのように結んでいるのは女神の人形。
人形作りはお昼を挟んで行われます。昼食をいただきながら、皆さんからお話を聞くことに。私が気になっていたのは、「この人形行事に念仏も併せて行われていたか?」です。すると「昔は春彼岸にバアさまたちが地蔵様の前で念仏を唱えながら数珠を回していた」とのこと。やはり、このボーノ神は百万遍念仏とセットで行われていたのでしょうか。それには「ボーノ神と百万遍は別々でやっていたと思う」という回答でした。
ボーノ神は昭和30年代に一度途絶え、50年代に復活した行事。百万遍はその中断していた頃に途絶えてしまったよう。春彼岸に両方の行事があった時代から約70年経っているため、当時の事を詳しく掘り下げるのは難しいです。

昼食後はいよいよ人形の組み立て。「これが一番大変なんだ」と会長の古川さん。頭に両手、両足を付けた後、「じゃんばら」と呼ばれる前垂れで結わえていきます。会の先輩後輩が二人一組になって、制作技術を伝えながら組み立てていく場面も。

完成した男女のボーノ神のカップル。男の刀、女の弓もすべて新調します。顔は地元のねぶた絵師の方が描いたもの。昔はもっと素朴なお顔だったそうです(2021年、福島県立博物館で観たボーノ神もそうでした)
午後3時、4体のボーノ神がついに完成。間もなく子供たちが公民館にやってきて、人形を一体ずつ手に持って行きます。車に取り付けられたスピーカーからお囃子が流れると、いよいよ巡行が始まります。

雪がちらほら舞う中、ボーノ神送りの一団は四カ所の村の入口を周ります。昨年は暖冬だったため、雪は全くありませんでしたが、今年の青森は記録的な豪雪だったため、雪がまだうず高く積もっていました。地元の方によると「これでもよく溶けたと思いますよ」とのこと。

村の入口にボーノ神が置かれると、その前にお菓子が供えられ、お神酒が掛けられます。田植えの頃まで祀られた後に解体され、たい肥に混ぜられて肥料になるのだとか。ボーノ神は農作物の養分となって、村の五穀豊穣を支えます。
今回は人形作りから取材させていただいたことで、行事を継続されている方々の技と心を感じることができました。平田森伝統文化保存会の皆様、ありがとうございました。
春彼岸の百万遍念仏を訪ねる旅はいよいよ秋田県へ。続きは次回に。