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海のカシマをゆく~浜田の鹿嶋祭り

投稿者:小松 和彦 投稿者:小松 和彦 小松 和彦

6月11日は鹿島行事の「はしご取材」。午前中に秋田市新屋の鹿嶋祭りを取材した後、お昼過ぎに八峰町八森へ向かいました。八森は秋田県沿岸北部、青森県との県境に位置する地域で、毎年6月に「鹿嶋祭り」がいくつかの集落で行われています。

八森の鹿島人形と鹿島船(秋田県立博物館)

八森の鹿嶋祭りについては、今年2月の「あきた無形民俗文化財万博」の際に、私たちのギャラリートークに参加された八森在住の須藤佳奈子さんから教えていただきました。須藤さんによると、八森で鹿嶋祭りを行っているのは中浜、茂浦、立石、椿、浜田、岩館、八森の7集落で開催日は6月のいずれかの日曜日。どこも海沿いの集落なので、人形は海に流すそうです。「海のカシマ」は昨年、男鹿市北浦の鹿島祭を取材しましたが、八峰町の行事は未見。後日、須藤さんに改めて連絡を取ると、浜田集落では11日の夕方に開催するとのことで、取材させていただくことになりました。八峰町へ行くのは、幻の人形道祖神・大信田のショウキサマの跡を訪ねて以来、5年ぶりです。

浜田は海沿いにある120軒の集落。午後3時前に集会所へ到着すると、立派な木の鹿島船が置かれていました。船内には人形道祖神のショウキサマならぬ、五月人形の鍾馗(しょうき)、その後ろには・・・

紙の形代が5体、その後ろにはデッサン人形も。自治会長の工藤金悦さんによると、コロナ禍の前は藁などで鹿島人形を5体作っていましたが、すぐ水に溶ける紙製の方がいいということで、現在のような形代になったそうです。鍾馗とデッサン人形は単なる「飾り」とのこと。しかし、「人形」の概念をあらためて考えさせられる、とてもユニークな事例です。

浜田の町内は8つの組(班)に別れており、行事の当番は持ち回りで担当(今年は6の組)。人形は当番になった組の人たちが用意することになっています。

午後3時から神事が始まりました。お祓いを執り行うのは近くにある白瀑(しらたき)神社の宮司さん。昨年、能代市で私の講演を聞いてくださったそう。地域の鹿島行事について色々と教えていただきました。

お祓いの後、船を軽トラに乗せて巡行がスタート。太鼓を乗せた軽トラを先頭に、ゆっくりと集落を周ります。太鼓の音に引き寄せられるように沿道の家々からは住民の人々が出てきて、船にお菓子やお金を奉納します。

浜田の鹿嶋祭りは元々、子供が中心のお祭りでしたが、少子高齢化で町内会で行うようになったとのこと。祈願されるのは、豊作、豊漁、家内安全、商売繁盛など。かつては最後に船を沖合で3周させてから海に流しましたが(男鹿市北浦の鹿島祭りもそうだった)、5年ほど前から人形だけを流すようになったそうです。

1時間ほど練り歩いた後、集落のはずれにある海岸へ。ここで、人形は海へ流されます。子供から大人へ、藁人形から紙の形代へと姿は変わっても、災いを人形に託して送り出すという祭りの本質は変わりません。大海原、波の音、そして出航する鹿島人形、そんな神々しい光景に心打たれる八森浜田の「海のカシマ」でした。

Writerこの記事を書いた人

投稿者:小松 和彦
郷土史研究 小松 和彦
工芸ギャラリー・小松クラフトスペース店主 『秋田県の遊廓跡を歩く』(カストリ出版)、 『新あきたよもやま』(秋田魁新聞デジタル版) などを執筆。 http://www.komatsucraft.com/ Twitter @Komatsucraft