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【中編】母から娘へ 伝統をつなぐ ~横手市田ノ植のカシマ行事

投稿者:宮原 葉月 投稿者:宮原 葉月 宮原 葉月

 コロナ禍で縮小されることになった田ノ植のカシマ行事について、「多くの方に知っていただこうと、娘と一緒に行事について調べ、社会科研究の発表会で発表しようと思います」と昨年夏に連絡をくださった柴田 香織さん。中編では、柴田さんがどのようにカシマ行事と関わってこられたのか、その歴史を振り返ってご紹介いたします。

【前編】:田ノ植のこと・秋田の近代史に寄り道
【中編】:カシマ行事と柴田さんの家族史 ← 今回
【後編】:社会科研究発表のこと、母から娘へ伝統をつなぐ

▼目次
・子どもの頃のカシマ行事
・大きなカシマサマについて
・「またカシマサマに会えた」
・鹿島人形づくりに初挑戦
・コロナで行事が縮小


 最初に、柴田さんが小さかった頃のお話を伺いました。

 上の写真は小さいときの柴田さんの妹さんとおじいさまです。お神輿を奉納するシーンで、つぶらな瞳がとてもかわいらしいですね。「カシマサマを祀る辺りには、昔大きな林がありました。今はもうありません」と懐かしそうにおっしゃっいます。(写真:柴田さん提供)

子どもの頃のカシマ行事

 現在のカシマ行事は、朝8時頃から大小のカシマサマを作り始め、お昼前には作り終えます。夕方の16時頃、広場に人が集まり、日があるうちにすべてのカシマサマを村境に持って行き祀ります。

 一方柴田さんが子供の頃(昭和60年代)は、夜に鹿島人形を奉納されていたそうです。

「真っ暗な中歩いて行くと、ロウソクの灯りが見えてそこで男性方がお酒を飲んでいるんです。私は自分の小さな鹿島様を待たされ、所狭しと置かれた鹿島様を見て、どこに置こうかなと悩んでいました。ほとんど暗闇の記憶ですので、思い返すと幻想的です」

「我が家は時代の割に写真多い方だったんですが、それでも残っていないのは夜の奉納だった事が大きかったのではないかと思います。夜に行くのは、私の母の時代でもそうだったみたいです」

 小さな鹿島様を奉納していた際は「お祭りと違ってごく自然な事、お墓参りに行く時のような感じです。ウキウキした気持ちはなく、『おかげさまで健康です。今後も見守っていてください』と報告しに行くような、淡々とした感じでした」とのこと。昔の記憶が鮮明に残っていることがとても印象的でした。

 また「夜の参拝時に大きなカシマサマの足元らしきものをみた記憶があります。夜でしたし子どもの背丈は小さかったので、鹿島様の上半身は闇にまぎれて見えなかったのかもしれません。」という証言をいただきました。

大きなカシマサマについて

 2019年にANPが取材させていただいた際、「大きなカシマサマは近年になって作り始めた」というお話を伺いました。
「昭和の終わり頃に青年団が岩崎のカシマサマのようなものをつくろうとなり、作り始めた。その前は大きな草履を作っていた」(小松さんメモより)

 「小さなカシマサマは昔から作られ、最近になって大きなカシマサマも作り始めたのだろう」と推測していましたが・・・

 柴田さんが「母が子どもの頃(昭和35年頃~)から大きなカシマサマがあったそうです」と教えてくださいました。後編に登場する長老の千葉さんも「子どもの頃からあった」とおっしゃっていたそうですので、どうやら昔から作られていたようです。もしかすると、一時的に作り替えを中断していた時期があったのかもしれません。このあたりは引き続き調べていこうと思います。


またカシマサマに会えた

 柴田さんが鹿島人形を奉納していたのは小学生の頃まで。「子供の頃は祖父母に連れられて鹿島様のお参りへ行ってましたが、思春期以降は関心がなくなりました」と柴田さん。その後は学校の勉強や部活動で忙しくなったり、田ノ植を離れて生活されることもありました。
 その後お子さんがお生まれになり、ふとしたことで再びカシマ行事に参加するようになりました。はたしてそのきっかけとは?

 2013年に長女の桜子さんが誕生。その夏に祀られていたカシマサマの前を柴田さんのお母さまと車で通り過ぎようとした際、「(数日しか祀られない)カシマサマがあるので、せっかくだから桜子と写真を撮ったら。カシマサマを拝んでね」とお母さまがご提案されました。柴田さんはふと「再びカシマサマと会えた」と感じたそうです。

 「だいぶ時を経て自分の子どもができた時、たまたま鹿島様を見かけて、健康をお願いしたいと思い撮影をしました」
(『カシマサマってなんだろう?~鹿嶋様の研究~ 柴田桜子さん著』より)

 翌年にご長男が誕生し、しばらく育児に集中することにした柴田さん。2014年から2016年の間は「育児に手いっぱいで、参拝をかかしてしまい残念だった」そう。しかし2018年は親子でカシマサマを参拝することが叶いました。


鹿島人形づくりに初挑戦

 これまで参拝するだけでしたが、2019年に桜子さんが小学生となり、満を持して子ども会が主催するカシマづくりに参加しました。柴田さん親子は青いブルーシートの上で年配の方から鹿島人形づくりの教えを受け、無我夢中で作り上げたそうです。「(向こうにいる年配の方から)伝言ゲームのように、教えが伝わってきました」「絶対完成させると思って没頭していたら、完成が昼過ぎになってしまいました」と朗らかにおっしゃいます。偶然にも2019年は、ANPが田ノ植を初めて取材させていただいた年でもありました。

 取材中、私がイラストレーターということで田ノ植のみなさんから「大きなカシマサマの顔を描く」という任務を仰せつかりました。当時私は和風の顔を描く経験がなかったので、ひいひい言いながら描いていたのですが、そんな私に声を掛けてくれた女の子たちがいました。そのうちの1人が、なんと桜子さん。桜子さんは絵を描くのが大好き(※)だそうで、絵に興味を持ってくれたのかもしれません。

※桜子さんは昨年、第34回読書感想画秋田県コンクールへ宮沢賢治の「やまなし」の絵画を出品し、最優秀を受賞。全国大会(全国学校図書館協議会および毎日新聞社主催第34回読書感想画中央コンクール小学校高学年の部)へ出場され、奨励賞を受賞されたそう。他にも「第17回読書に関する作品コンクール(主催:横手市教育委員会)」に出品した宮沢賢治「いちょうの実」で優秀賞を受賞。ダブル受賞ですごいですね!

コロナで行事が縮小

 2020年は新型コロナの感染拡大の影響により、子ども会主催の小さなカシマ人形づくりが中止となり、大人だけで大人形を作りました。柴田さんは自分たちで鹿島人形を作りたいと考えましたが、材料であるガツギやワラがないため断念。

 2021と2022年は、柴田さんたちはガツギをわけてもらうことができたので、作り方を80代のおばあさまに教わり、柴田さんとお父さまが鹿島人形を制作。桜子さんが顔を描きました。この2年間は2体の鹿島人形を奉納することができました。

2022年、柴田さん達が作り奉納された鹿島人形。桜子さんが顔と文字を描きました

 「ガツギは地域の男の人たちが朝6時くらいに採りにいきます。今年(2023年)は私も参加させてもらおうかな」と柴田さん。とても頼もしいお話に私もなんだか嬉しくなりました。

 ちなみに「ガツギ」とは、「川の中に生えている。正式名称は真菰(まこも)。『神が宿る草』といわれ、古くから神事に使われてきたイネ科の植物」です。(『カシマサマってなんだろう?~鹿嶋様の研究~ 柴田桜子さん著』より)
 ガツギはカシマサマづくりにはなくてはならない大切な材料。末野集落の鹿島人形や、木下(きじた)や樽見内のカシマサマにも使われています。

 次回後編では、柴田さんがお嬢さんの桜子さんに「夏休みの研究でカシマサマをやってみないか」と提案された理由や、研究発表会の様子、そして桜子さんのしなやかな強さについてレポートします。

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投稿者:宮原 葉月
イラストレーター 宮原 葉月
広告・書籍・雑誌でイラストを描く。 「LOWELL Things」(ABAHOUSE)とのコラボバッグ、 シリーズ累計49万部「服を買うなら捨てなさい」(宝島社) 装画等を担当。 http://hacco.hacca.jp Twitter @hatsukimiyahara