6月11日の新屋の鹿嶋祭りの後、この夏の取材テーマが浮かんできました。
今年は秋田市内のカシマをまわる!
秋田市内には鹿島流しを行う地域がいくつもあります。その歴史は古く、秋田市中心部が久保田城下と呼ばれていた江戸時代から、地震除けなどの行事として催されていたという記録があります。もしかしたら、この一帯で行われていた鹿島行事が藩内各地に伝わり、それぞれの地域の特色を帯びながら今も伝えられているのかもしれません。

これまで鹿島流しの取材は横手盆地が中心でした。秋田市は私の地元なので、「いつでも見に行ける」と油断している間にコロナ過で中断。今年になって次々と再開されるという知らせが入り、満を持して「おらほのカシマ」を訪ねてみることにしました。
川尻の鹿嶋祭り

秋田駅から西に3キロほどの川尻地区はかつて川尻村と呼ばれ、雄物川と旭川、太平川の合流地点にあたり、さらに現在の国道7号線にあたる酒田街道(羽州浜街道)が通っていたことから、水陸の交通の要衝でした。中世には現在の秋田市中心部の広い範囲が川尻村だったようで、川尻の鎮守である総社神社は元々、千秋公園(久保田城跡)の場所にあり、佐竹氏による築城の際に遷されたと伝えられています。
川尻の鹿嶋祭りは例年6月の第3日曜日(かつては旧暦5月15日)に開催。肝煎町、毘沙門町、西表町の3町内がカシマニンギョウを乗せた船を子供たちが引っ張って巡行し、最後に人形を川に流します。この巡行の際、肝煎、毘沙門は鬼神、西表は鍾馗に扮した人が各家々を周り「悪魔ばらい」を行います。2020年からコロナ過で中断されていましたが、今年4年ぶりに復活。「川尻の鹿嶋祭り保存会」会長の三浦五祚夫さんのご厚意で、肝煎町に密着取材させていただくことになりました。

今年の鹿嶋祭りは6月18日ですが、その一週間前から準備が始まります。ご近所なので、暇を見て準備段階も見学させていただくことに。6月15日の夕方、仕事終わりに自転車で肝煎町の集会所へ向かうと、鹿嶋船を組み立てている真っ最中。
「昔は船ごと全部川へ流したんだよ」と三浦さん。20年ほど前からは人形だけ流すようになったため、船の骨組みは毎年同じものを使っています。最後の仕上げは祭り前日の17日に行うとのこと。

会館の中では船に飾る幟を子供たちが制作しています。こちらの祭りは昭和30年代に行政指導によって一時中止になり、その後まもなく子供会の行事として復活しました。

会館の奥正面には祭り当日に鬼役の人が被る面が祭られ、その前にカシマニンギョウが2体置かれています。緑色の般若のような鬼面はナマハゲより怖い!こんな鬼にお祓いしてもらえたら、さぞかしご利益があるのでは。
この日の取材はここまででしたが、町内会の皆さんによる会館での飲み会に誘われたので、お言葉に甘えて参加させていただきました。「家まで歩いてでも帰れる」距離のありがたさよ。

6月17日(土)午後2時過ぎ、仕事を「途中退席」して、再び自転車で肝煎町へ。船はカツギ(マコモ)で飾られ、台車に設置されていました。

会館の中では船に乗せるカシマニンギョウを準備していました。人形は30体。作りは新屋とほぼ一緒で、木の芯に紙の衣装を着せ、頭部は陶器で作られています。この日は早めに退出し、職場(小松クラフトスペース)に戻りました。仕事の合間に取材を入れるのは、これが初めて。
そして、いよいよ祭り本番!カシマニンギョウと鬼の競演をどうぞお楽しみに♪(続く)