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鹿島様と地蔵様のコラボ!上樋ノ口の祭典

投稿者:小松 和彦 投稿者:小松 和彦 小松 和彦

前々回のブログでも書きましたが、今年の夏は秋田県内各地の「鹿島流し」行事を中心に取材しました。その成果は現在、秋田魁新報電子版のコラム・『新あきたよもやま』で「夏の風物詩・鹿島流しを訪ねる」と題して連載中です(全7回、毎週土曜日更新)。

これまで掲載した記事はこちら
(1)多彩な人形行事
(2)人形の原像 末野[横手市]
(3)奇祭!ジジババ流し 松田[横手市]

鹿島流しは田植えが終わる6月初旬頃から各地で始まり、7月の中旬がハイシーズン。8月に入ると一旦落ち着きますが、お盆過ぎになると再びいくつかの集落で行われます。横手市平鹿町上樋ノ口(薊谷地)もその一つ。毎年8月17日の地蔵様の祭典(地蔵盆)にあわせて「鹿島送り」が開催されます。

下樋ノ口村のクサヒトガタ(菅江真澄『月の出羽路・平鹿郡』アーツセンターあきたのウェブサイトより)

「人形道祖神研究のパイオニア」である江戸時代の紀行家・菅江真澄は『月の出羽路・平鹿郡』の中で、樋ノ口村の入口に立つ剣を持った藁人形を描いております。現在、このような人形道祖神は見られませんが、上樋ノ口の入口にある宮殿神社の境内には、大きな杉にしめ縄を張り、さらに刀を差して人形神に見立てた「木のカシマサマ」が祭られています。そして同じ境内にお地蔵様もいらっしゃるのです。

上樋ノ口は全18戸。朝8時、各家から1人ずつカシマサマの前に集まり、行事がスタート。まずはカシマサマの前で鹿島人形をそれぞれ制作します。人形の素材はすべて藁。昔は各家で持参して作ったそうですが、今は町内会で購入されているとのこと。

人形作りが終わった後、カシマサマの作り替えが始まりました。まず2名の男性が注連縄を制作。それをご神木の杉に巻き付けて、刀を差すとカシマサマが完成。同じような「木のカシマサマ」は、この近くの深間内、荒処でも見られます。
午前10時過ぎ、参加している皆さんは制作した鹿島人形を持ち帰り、夕方5時からの地蔵祭まで待機します。

時間が空いたので、岩手県西和賀町沢内にある碧祥寺博物館へ。こちらを見学するのは、おそらく中学生の時以来、約30年ぶり。国重要有形文化財指定の「マタギの狩猟道具」、「雪国生活用具」で知られている博物館ですが、横手市深井のカシマサマをはじめ北東北の民間信仰の資料も充実しており、たっぷり時間をかけ見て回りました。

午後4時過ぎに上樋ノ口へ戻ると、午前中に制作された鹿島人形がカシマサマの前に奉納されていました。それぞれに顔が描かれ、背中に背負った「ツツコ」にはお菓子が入れられていました。
参拝者はまずお地蔵様に手を合わせて拝み、続いてカシマサマに柏手を打って拝礼、続いて神社へ、といった順番で参拝します。それぞれの場所では紙に包んだ米(お初穂)を奉納します。神社は元々少し離れた田んぼの中にあり、観音様をお祭りしています。翌18日は神社の祭典(観音祭)で、宮司さんが朝、祈祷に来るのだそう。まさに神仏とまじないが混然一体となった聖地です。

午後5時、地元の善福寺のご住職が来られて、地蔵様の前で読経。鹿島行事の取材で、お坊さんが儀式を執り行う場面を見るのはかなりレア。本来であればこの後、ゴザを敷いて直会が行われるそうですが、今年は新型コロナウイルスの感染防止のため自粛に。午後5時半、地蔵様と鹿島様のお祭りは滞りなく終了しました。
かつて鹿島人形は翌日近くを流れていた川に流したそうですが、昭和48年の区画整理で川が無くなり、さらに環境保全の指導もあって、この日のうちに近くで燃やすようになったとのこと。「木のカシマサマ」と鹿島人形のコラボが見られるのは、一年のうちたった数時間。この場面を見られるだけでラッキーです。

隣接する下樋ノ口では同日に藁で鹿島船を作り、夕方子供たちがそれを引きながら町内を回る鹿島流しを行っていました。この祭りには上樋ノ口の子供たちも参加していたそうですが、児童数の減少などで5年程前から行われなくなったとか。近年、鹿島流しが少子化のために中断を余儀なくされるケースは後を絶ちません。

全戸参加で守り継がれている上樋ノ口の鹿島行事。約200年前に菅江真澄によって描かれたクサヒトガタの伝統が、今後も絶えることなく、続いてほしいと願うばかりです。

Writerこの記事を書いた人

投稿者:小松 和彦
郷土史研究 小松 和彦
工芸ギャラリー・小松クラフトスペース店主 『秋田県の遊廓跡を歩く』(カストリ出版)、 『新あきたよもやま』(秋田魁新聞デジタル版) などを執筆。 http://www.komatsucraft.com/ Twitter @Komatsucraft