平成28(2016)年、私は遊廓家の渡辺豪さんと共著で『秋田県の遊廓跡を歩く』(カストリ出版)という本を書いた。秋田県内各地に残る色街の残照を文と写真で記録したルポタージュだ。この時の取材から私は本格的に郷土史研究をスタートさせた、と言ってもよい。現在、秋田人形道祖神プロジェクトでコンビを組んでいる宮原葉月さんと知り合ったのも、この本が一つのきっかけである。
『秋田県の遊廓跡を歩く』の取材で渡辺さんと大館市の扇田を訪れたのは2015年の秋だった。かつて料理屋であったお宅の取材中に、そこのご主人から「そういう話なら詳しい人がいるよ」と紹介されたのが、写真店を営む傍ら郷土史研究家として町史の編纂などを手掛けられている山田福男さんだった。教えてもらった住所に行くと、ご自宅の裏側を流れる小川で釣りをされている山田さんがいた。「こんな町中の堰でも水がきれいだから川魚がたくさん釣れるんだよ」と獲物の魚を見せてくれた。その後、山田さんからは扇田という町の特色や、色街ができた背景についてなど、ご教示いただいた。

翌年、『秋田県の遊廓跡を歩く』が刊行されて間もなく秋田魁新報の方から「山田さんが本を読みたいと言っている」という連絡をもらい、すぐに送らせていただいた。それから間もなく、山田さんから丁重なお手紙を頂戴した。扇田の生き字引である山田さんからお褒めの言葉を頂いたのは、何よりも嬉しかった。
大館市扇田での取材にご協力を賜った郷土史家の山田福男様から『秋田県の遊廓跡を歩く』のご感想をお手紙で頂戴いたしました。有難いです! pic.twitter.com/fYy7AyaOEH
— 小松和彦(小松クラフトスペース) (@Komatsucraft) 2017年1月14日
それから約3年が過ぎた今年の春、古本屋で手にした郷土史資料の中に山田福男さんの名前を見つけた。それは昭和40年代後半に山田さんが大館市の人形道祖神について取材、考察したルポタージュであった。私が『村を守る不思議な神様』で取り上げた二ツ屋のドジンサマも山田さんは取材されている。遊廓の取材で知り合うことができた山田さんが、若い頃人形道祖神を研究されていたことに驚嘆した。それ以来、「今度大館へ行ったら山田さんに本を持ってご挨拶に行こう」と心に決めていた。
6月15日、小雪沢のドジンサマの取材の合間に、4年ぶりに扇田を訪ねた。山田さんのご自宅は何も変わっていなかった。出て来られたご家族の女性に山田さんに会いに来たことをお話すると、悲しい事実を知らされた。
山田さんは昨年の暮れに、亡くなられていたのだ。
気さくな人柄で知識豊富な山田さんと人形道祖神について語り合いたい。そんな私の望みは叶わなかった。せめて、亡くなられる前に『村を守る不思議な神様』をお送りすれば良かった、と悔いが残る。
私はご霊前に手向けさせてもらえたらと本を一冊、山田さんのご家族にお渡し、扇田を後にした。
山田福男さん、本当に僅かな時間でしたが、ご教示を賜りありがとうございました。山田さんが遺された文献資料を元に、これからも郷土史研究を続けてまいります。