Q
9

男性器・女性器があるみたいですが、地元ではどう捉えられていますか?

A9.生殖はすべてにおける根源的なパワーのイメージとして捉えられている、と考えます。

人形道祖神の多くには男女それぞれの性器が取り付けられています。特に男性の「陽物」は立派なものがついていますね。    道祖神の中には性器のかたちを彫った(あるいは見立てた)石を村境などに祭ることもあります。そのほとんどが男性器ですが、稀に女性器も見られます。こうした性的なものをイメージさせる石造物は全国に分布していますが、江戸時代の終わり頃から、猥雑で前近代的な「淫祀(いんし)」として排除の対象になってきました。現在ではこれを「性神(せいしん)」と呼んで、様々な角度から愛好し、文化財として評価する動きもあります。(分かりやすくするため文中では以降、性神と呼称します)

こうした性神は日本に限らず世界中にあります。キリスト教やイスラム教はこれを邪教崇拝として排除しましたが、ヒンドゥー教の神である「シバ」の象徴は女性器(ヨーニ)の中から突き出た男性器(リンガ)です。インドやネパール、カンボジアのアンコールワット遺跡群に旅行された方であれば、何度かご覧になったのではないでしょうか。日本の性神はヨーロッパや中近東の方々の目には奇妙に映ると思いますが、インドやネパールの人には「なんでこんなところに自分の国の神様がいるの?」と思われるでしょう(実際、そういって驚いたインド人を一人知っています)

日本では縄文時代から男性器の形に石を彫った石棒がたくさん作られています。女性器は石皿という実用の道具を見立てて祭られたと思われますが、由利本荘市にある縄文後・晩期(約4,000~2,500年前)の三千刈遺跡からは女性器をリアルに彫刻した石製品が出土しています。現在、道祖神として祭られている性神のルーツをすべて縄文時代に求めるのは無理がありますが、日本における性神信仰は縄文時代に一度完成されたことは間違いないでしょう。

どうして性神が祭られるようになったのか。子宝祈願、豊作祈願、無病息災、そこにはさまざまな願いが込められていると思われますが、生殖がすべての森羅万象における根源的なパワーのイメージとして捉えられるからではないでしょうか。

能代市二ツ井小掛では年に一度、男女の人形道祖神(ショウキサマ)を向かい合わせて性交させ、その周りで村人たちが百万遍を唱えるお祭りを行います。かつては疫病が流行る度に家々の前でショウキサマを性交させて、厄払いをしていたそうです。このことからも神様同士の生殖行為には悪霊を追い払うパワーがあると信じられていたことが分かります。

秋田県内の人形道祖神をリサーチしていて、村境や神社にひっそりと祭られている性神が思っていた以上に沢山あることに驚きました。一番驚いたのは、ある村で縄文時代に作られた石棒が道祖神として祭られていたことでした(縄文時代の石棒は近現代に作られた性神と姿かたちや加工の仕方が異なるのですぐに判別できます)縄文時代からずっとそこにあったのではなく、おそらく村人が畑仕事をしている最中に土中から出土したのを祭ったと考える方が妥当だと思いますが、縄文時代の性神が今でも信仰対象として生きていることにとても感動しました。

こうした性神は今でも集落の人々によって大切に管理されています。子供が欲しい人は今でも性神に願をかけることがあります。私自身も結婚して間もなく大仙市唐松神社にある性神にお参りに行きました。子宝を祈願する参拝者が多く集まる神社で、自然石を男性器、女性器に見立てた性神はいつも撫でられているのでツルツルになっています。私もそうでしたが、ここに参拝する人の多くは「なんで性器の形をした石をなでると子宝に恵まれるのか」と深く意味は考えていないと思います。性神はいつもなんとなく人々の近くにある神様なのではないでしょうか。